1979-03-13 第87回国会 参議院 予算委員会 第6号
五十一年の六月ごろのロッキード委員会で先生からそういう御質問がありまして、当時の黒部証人がそういうようにお話しいたしましたが、その後、たしか八月だったと思いますが、当時の装備局長が中曽根前通産大臣と増原前長官に確認いたしました結果、そういうことはなかったというふうに御回答申し上げていると思っております。
五十一年の六月ごろのロッキード委員会で先生からそういう御質問がありまして、当時の黒部証人がそういうようにお話しいたしましたが、その後、たしか八月だったと思いますが、当時の装備局長が中曽根前通産大臣と増原前長官に確認いたしました結果、そういうことはなかったというふうに御回答申し上げていると思っております。
また、防衛庁の当時の装備局長さんですか、黒部証人の証言でも、大蔵省から対潜哨戒機の必要性はわかるんだけれども、開発費をつければ必ず成功して国産による生産を主張するようになるだろう、うまい代案はないだろうかというように言われたと、このように言われております。このように装備品の国産か、輸入かの決定について何が一体その決め手になっているのか。
この時点は、二十一日に専門家会議が開かれて、ここでも黒部証人やその他の証人が出ましたが、国産、輸入の両論が大論争をやっているときなんです。その前の日なんです。二十七日には専門家会議の答申がありまして、玉虫色と言いますか、条件が整えば国産が望ましいが、当面外国機輸入もやむを得ないという、P3Cにぼくは一歩道を開いたものだと思うが、こういうものがやられています。
ただ強いて申し上げますと、先般、黒部証人のときに若干出ておりましたが、MDAOのスタッダード所長というのは、当時の黒部装備局長のところに来られたということは私どもも黒部前局長から伺っております。ただそれは時期的には四十七年の春ごろというふうに、四十七年度予算の成立した直後というふうなことでございまして、その辺の因果関係は必ずしも明らかではなかったということでございます。
私が申し上げました以前にあった行動としましては、先般の当委員会で黒部証人が証言をいたしました、四十七年春に売り込みがあった、売り込みというよりP3Cの話があったというのがまず一つ。それからもう一つは、四十七年の八月に非公式にリースの話があった、この二つだと思うんですが、主なもの、どうですか。
この前黒部証人に対してそのことをただしたときにも、そのことを肯定したお答えがあったわけであります。防衛庁として現在この経過につきまして調査をされているのか、あるいは現在これはどうなっているのか、これを伺いたいと思うんです。
○野田哲君 黒部証人が昭和四十六年九月一日に防衛庁の装備局長に就任された直後に記者会見をされて、装備局長としての抱負を語っておられますが、記憶されておりますか。
○野田哲君 それで黒部証人はそれに対してどういう応待をなさいましたか。
○委員長(剱木亨弘君) 以上をもちまして、黒部証人に対する尋問は終了いたしました。 黒部証人には長時間にわたり御証言をいただき、ありがとうございました。 午後一時三十分再開することとし、休憩いたします。 午後零時二十三分休憩 —————・————— 午後一時三十二分開会